カナダ留学・ワーホリカナダ専門 現地無料留学エージェント

あなたの「夢をかなえる場所」

image

ご利用者の声

【留学後何してる?あの人は今?】【カナダ移民/ドライバーズガイド】「心身ともに健やかに、自分磨きも忘れない。」

【留学後何してる?あの人は今・・。】

Nobuko Hirohashi
出身:群馬県
ビザ:ワーキングホリデー→就労ビザ→カナダ移民

【カナダ就労/ドライバーズガイド】
カナダ移民

「積み重ねが自信に繋がり、結果になる。」
「『言い訳の前に動く!』がモットーです。」

高校の修学旅行でバンフに行ったという友達から聞いたワーキングホリデー制度。
旅行では体験できない、現地に住んでみたいという思いから9年勤めた会社を辞めました。

ギリホリなので1ヶ国しか行けない状況で残った3つの選択肢がオーストラリア、ニュージーランド、カナダ!カナダにした決め手はスノーボード、そしてなんといっても2010年冬期オリンピック開催国ということ。行き先はもちろんウィスラーの玄関口バンクーバー。

2009年11月上旬、到着から3週間雨ばかりで気持ちが沈みそうな時も当時のカウンセラーRieさん、そしてMisaさんの笑顔で癒されました。

語学学校に2ヶ月、ESL在学中はホームステイ、その後3ヶ月はカナダライン沿線のシェアハウスの住みました。あれっスノーボードは?ウィスラーじゃないの??と思われるかもしれませんが、オリンピック前後はウィスラーの家賃が高すぎて断念。当時運行していたリフト券付のバス(グレイハウンド)でバンクーバーから滑りに行っていました。

オリンピック期間中はアイスホッケーやフィギュアのエキシビジョンを観に行き、バンクーバー市内を歩く選手や各局のメインキャスターをダウンタウンで見かけたり、オリンピックグッズをBayに買いに行き、記念コインの交換や本物のメダルを見るためにカナディアンミントに7時間並んだりとお祭り気分で楽しんでいました。バンクーバーオリンピック開催中も仕事探しは欠かせません。

元々、旅行業に就ていたので現地ガイドには馴染みがあり、バンクーバーでガイドになろうと思っていた矢先⁉︎バンフでクラス4を取得すればドライバーズガイドで仕事ができるよとのアドバイスから、運転が好きなので3月末にグレイハウンドでバンフへ引っ越し。

ワーホリ後半はドライバーズガイドとして、世界遺産カナディアンロッキーで半年働きました。

 

日本からのツアーのお客様のアテンドですので、ほぼ日本語ということでガイド業は敬遠されがちですが、私はやっぱり旅行の仕事が好きなんだと実感できました。それに?自分次第で英語を使う機会は増やせますから。休みの日にはテニスやハイキング、バーベキューをしたり、キャンプにも行きました。

次期シーズンのVISAサポートを約束してもらい、日本に帰国、その後震災があり、実家に被害はありませんでしたが、日本からのツアーが少なることからカナダ行きを断念。2011年は派遣で旅行会社で内勤をして過ごし、次期シーズンのVISAサポートをお願いしたところ、その会社が閉業。クラス4を持っていたのでバンフの別のガイド会社にVISAサポートをお願いすることができ、2012年4月よりガイド復帰。

4年目の2015年よりスーパーバイザーVISAとなり、12ヶ月のフルタイム就労でスキルドワーカーとして移民申請の権利を得ました。そこからAINP(アルバータ州ノミニープログラム)で移民申請、申請から2年半の2018年8月にランディング(移民取得)。

実際、移民までの道のりは綱渡り状態でした。

当時のVISAの4年ルールに悩まされながら、片道航空券(カルガリー→成田)で帰国を余儀なくされたこともあり?気分的に長い冬を過ごした時期もありましたが、現在夏はバンフで今まで同様にガイドの仕事を、冬はワーホリ時には実現できなかったウィスラーに住み、スノーボードからスキーにスイッチ。

日本からのスキー、スノーボードのお客様のアテンドの仕事をしています。
大好きな旅行の仕事を続けられるように、心身ともに健やかに、自分磨きも忘れないように心がけています。

 

[他の人の留学後体験談を見る(Hitomi.M)]